2020年11月16日 伝統行事「百手(ももて)の儀式」が行われます

800年も昔にたどり着いた御崎集落の平家伝説

 

■御崎の平家伝説

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」
平家物語は誰もが知っているこの有名な文句で始まり、平家一門の公家や武者たちが、壇ノ浦の戦いで力尽き、あるいは源氏に生け捕られるなどし、栄華を極めた平家の悲しい末路が描かれています。
物語中では命を絶ったとされる平家の武将たちが落ち延びて人里離れた山間の僻地や孤島で細々と暮らしていたといわれる平家落人伝説の残る集落は全国各地にあります。
香美町香住区にも平家伝説の地が5カ所あり、中でも香住区余部の御崎集落は壇ノ浦の戦いで敗れた門脇宰相平中納言教盛(かどわきさいしょうへいちゅうなごんのりもり=平教盛、平清盛の異母弟)を大将とし伊賀平内左衛門家長、矢引六郎右衛門らが同じ船に乗り込み遠く壱岐、対馬方面に逃れようとしたところ日本海を漂流し香住の近くの海に流れ着き磯づたいに御崎まで落ち延び土着したと言われています。
当地にはそれを裏付けるかのように門脇家、矢引家が現存しここで生活しています

■伝統行事「百手の儀式」

現在も伝承されている平家にまつわる伝統行事「百手の儀式」が毎年1月28日の午後3時半ごろから平内神社で行われています。
これはなんとしてでも平家復興を願い日々の鍛練、文武の練磨を怠らず、その修練の歴史が今も行事として残っているものです。
当日は、集落の若者3人が門脇、伊賀、矢引の武将に扮し境内の御神木に源氏に見立てた的を目掛けて、地区内で採取した竹で作った弓矢で101本の矢を射ます。
他の地方でも弓を引く行事はたくさんありますが、そのほとんどは神事で五穀豊穣や無病息災を祈る行事です。
ところが御崎集落の「百手の儀式」はまったく違い、神事には関係なくむしろ自分たちの努力で平家を復興させてやるという固い決意が行事になったものです

■天の恵みの「平家蕪」

御崎集落にはこの地にしか育たないと言われる「平家蕪(へいけかぶら)」という蕪が自生しています。平家がこの地に身を寄せた際、土地がやせた人里離れた場所であったため、たちまち食料に窮してしまい神に祈願したところこの蕪に恵まれるようになったと言われています。
春には菜の花に似た黄色い花を咲かせ、現在でも一部の家庭では漬物にして食されています

 

■御崎「平家村のおはなし」

香美町香住観光協会の職員が、御崎集落在住の語り部に聞いた伝承を基に作成した冊子
「御崎 平家村のおはなし」
には、村のはじまりや暮らしの様子、百手の儀式のことなど御崎集落の平家伝承の秘話がつづられています

 

「兵庫県香美町」の観光PRをしています香美町役場神戸営業所の木原弘一郎と申します。
今から800年も昔、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平氏がたどり着いたとされる平家落人伝説の残る香美町香住区の御崎集落で行われる伝統行事「百手の儀式」が1月28日に行われます。
この「百手の儀式」は平家再興を願い受け継がれてきた伝統行事で平家の武将に扮した若者3人が源氏に見立てた的へ101本の弓矢を射るものです。
御崎在住の語り部に聞いた御崎集落の平家伝承の話を基に作成された冊子「平家村のおはなし」にはさまざまな秘話がつづられています。
この冬の旅企画などございましたら、ご取材につきましてご検討いただきますようよろしくお願いいたします。
なお実際に取材に入っていただける場合にはより詳細な情報提供、スケジュール調整、撮影アテンドなど地元調整を含めた最大限のご協力をさせていただきますので何なりと香美町役場神戸営業所 木原までお問い合わせください。

 

 

平家再興の願いを受け継がれてきた伝統行事「百手(ももて)の儀式」
プレスリリース